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がんになって思ったこと乳がん治療記録

乳がん 術後1年を経て

乳がん 術後1年を経て
術後の入院中、同室の84歳の女性にもらった折り鶴。

2014年の11月初旬に、左乳がんの摘出および腋窩(脇の下)の
リンパ節を郭清する手術を受けてから、一年が過ぎました。
(脇への転移は1つや2つではなく、けっこうありました。)

これまでの略歴 

2014年4月に左乳がんと診断される(診断時38歳)
このとき、下の子はまだ1歳4か月で母乳も飲んでました。
確定診断後は、治療のために母乳を止める薬を服用。

2014年5月後半頃から、術前化学療法(抗がん剤治療)開始。
EC療法→ドセタキセル(詳しくは過去の記事をご覧ください)

2014年11月に手術(39歳)

術後の補助療法(ホルモン療法、経口抗がん剤)は続行中。

私は、特に強く希望したわけではないのですが、乳房を全摘しておらず
温存となっています(多少しぼんだけれど)。なので、今は、普通のブラを
つけて、普通に生活しています。髪も生えそろっているし、乳がん患者だと
いうことは、傍目には分かりません。放射線治療で焼けた部分は、今でも
色素沈着があり、鎖骨の照射部分の皮膚は、ちょっとケロイドのようになり、
襟の開いた服を着ると、すこーし目立つかな。でも、気にするほどではない。

術後の詳しい病理組織検査の結果も、あまりいいものではなくて
再発する可能性が高いというのは、そこで改めて突き付けられた現実。

何か月後、何年後?いつ再発して、それが転移するのか?
あと何年、元気でいられるのか。そういうことを考え始めると、
怖くて何もできなくなるので、普段の生活では極力考えないように、
楽しいこと、好きなことに夢中になる時間を大切にしてきました。

ただ、やっぱり、体のちょっとした痛み、不調があると
「まさか、もしや??」という不安につながってしまいます。
これはもう、一生ついて回るんだろうな。生きている間はずっと。

でも、そういうことを恐れていたら、新しいことが何もできないし
社会復帰もできません。そこで、年末年始を含む2か月間、まずは
短期の契約でアルバイトを始めることにしました。1年7か月ぶりの
「プチ社会復帰」です。前の職場ではないんですが、職種は大体同じ、
しかも、昔働いていたところなので、顔見知りも大勢います。
(病気のことを知っている人は、ごく数人ですが。)
まったく知らないところではないので、多少はやりやすいかな。

抗がん剤の影響なのか、ホルモンの影響か、はたまた年のせいか
分かりませんが、最近、大事なものをなくしてしまったり、忘れることも
たまにあります。今までの自分では、あまり考えられなかったことで、
これが仕事に悪影響を及ぼさないといいのですが…。

とにかく、まずはやってみなければ何も始まらないので、やってみます。

私がいつも、乳がんサバイバーの方のブログを読んで励まされているように、
私も、乳がんでこんなになっちゃったけど、子育ても仕事もやっているんだよ、
元気なんだよということを記事にして、同じ病気の人を励ましていきたいです。

だからお願いします神様。子供たちも、まだまだ手がかかるので、
せめてあと20年は元気でいさせてください。(欲を言えばもっと長く)。

たまにしか更新しませんが、ブログランキングにも参加しています。







そういえば、同じ日に手術を受けて、退院まで同じ部屋にいた仲間たち
(といっても、私が一番若かった。みんな年配の女性でした)
みなさんお元気にしていらっしゃるかなぁ。あれから近所でも会わないし、
病院の受診日や時間帯も違うみたいで、まったく顔を合わせてませんが、
きっと皆さん、それぞれお元気でお過ごしのことと思います。

これから乳がんの治療を受ける皆様、ご家族の助けも借りながら、
頑張って乗り越えてください。私も、まだまだ頑張っていきます。


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