ヨンナパリ

のんびり行こう

乳がん治療記録家族・プライベート


今年の夏も、猛暑でした!

お久しぶりです!
2021年、乳がん術後7年目になりました。
世界中で猛威を奮う新型コロナウイルス。
感染者の増加により、子供達の習い事や
学校生活にも、影響が出ています。

私はおかげさまで、変わらず元気です。
タモキシフェンはずっと飲み続けており、
リュープリンの注射は終了しましたが、
生理の再開はありません!!( ;∀;)
無きゃ無いで、もう別にいいんですけどね。

ガンの診断を受けた時はギリギリAYA世代
30代後半でした。それが今では40代半ば…。
放射線治療の火傷の跡も、目立たなくなって
CVポートを抜去して縫い合わせたところも、
だいぶ分からなくなりました。でも、それらの
傷跡は、病と闘ってきた大切な証です。

新型コロナウイルスのワクチン接種ですが、
エッセンシャルワーカーでもあるため、できるだけ
早く打ちたいと思っていました。幸い、乳がんの
経過観察でお世話になっているかかりつけ医で
予約を取ることができ、昨日2回目を終えました。

1回目も2回目も、服薬に特に制限は無いとのことで
頭が痛ければ鎮痛剤を飲み、タモキシフェンも
飲みました。腕が上がらないほど痛くなりましたが
今のところ、高熱は出ていません。笑えるぐらいに
食欲もあり、いつも飲んでるサプリメントも普通に
飲んでしまいました。ちょっとダルさはありますが
洗濯や食器洗いぐらいの家事は、どうにかできます。

コロナワクチンの副反応、男性よりも
女性の方が強く出ると言われてますよね。
この記事に理由が書いてありました。
分かりやすかったので、URLを貼っておきます。
https://www.asahi.com/relife/article/14363071

記事によれば、女性ホルモンのエストロゲン、
そう、ホルモンに反応するタイプの乳がんを患う
女性にとっては、タモキシフェンなどの薬剤で
抑えてる、あのエストロゲンが免疫反応のカギ。

私が発熱しないのも、タモキシフェンの服用が
多少なりとも影響しているのでしょうか…。
でも、腕の痛みや頭痛はあるので、体はしっかり
反応してるってことで。高熱が出ないなら、それは
それでラッキーぐらいに思っておきます。

あくまでも私の副反応なので、
同じようにタモキシフェンを服用しつつ
コロナワクチン接種を控えている方全てに
当てはまることは、無いと思います。
当然、どんな事でも個人差はあります。
ワクチン接種に不安や心配がある方は、
かかりつけ医や主治医の先生に、相談してください。

来年も再来年も、元気です!という
記事を更新できますように。
すっかり大きくなった子供達ですが、
まだ2人とも小学生。頑張らなくちゃ。

ではまた次の更新で。
残暑厳しい折、皆さまもご自愛ください。

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追記!
接種後24時間経過したあたりから
私も熱が上がってきました…(・・;)
とにかく寝て休みます!

がんになって思ったこと乳がん治療記録



ブログの更新があまりにも久しぶり過ぎて、
スマホからの操作がよく分かっていません。

乳がん関係で検索して、このブログに
たどり着いた方、あなたは今、治療中ですか?
それとも、初期治療を終えて経過観察中でしょうか。

いずれにしても、このブログが少しでも
皆さんの治療の励みや参考になればと思います。
ただ、もう6年前の情報になるので(現在2020年)
最新の治療等については、各自リサーチを
お願い致します。私の情報はもう古いかも。

結構なリンパ節転移がありながら、全摘なし。
術前術後の抗がん剤治療と、放射線治療を経て
再発リスクに怯えながらも、日々を生きてきました。

がん告知を受けた時、まだ1歳を過ぎたばかりだった
下の子(やんちゃ坊)は、4月に小学2年生になりました。

私の髪が抜け落ちたことなんかを、何となく
覚えてると言う上の子(石垣島生まれの長女)は
4年生に。2人ともすっかり大きくなりました。

ただ、今は新型コロナウイルスの影響で
2人とも新学期に1日登校したきりで、一度も
新年度の授業を受けていません。クラスメイトにも
学童保育で会える子を除いては、ほとんど会えず。

子供達が学ぶ機会を奪われ、友達と遊ぶのも
我慢して過ごしているというのに、一部の大人が
わざわざ離島の石垣島に観光に出かけたり、
我慢できていないことを残念に思います。

大きな病気をして、改めて分かることがある。
この日常は当たり前ではないということ。
健康な体は何物にも代えがたい宝だということ。

癌が人にうつることはありませんが、
新型コロナは人から人へ感染します。
無症状で感染している可能性もあります。

一人一人が、自覚を持って行動することで
感染拡大を少しでも食い止められたら。

私は現在、かつて従事していた介護の仕事に
約10年のブランクを経て、再び従事しています。

石垣島で介護職として学ばせてもらったことが
今の現場にも生かされています。
妊娠、出産、自分の病気を経て
あの頃とはまた違う視点から、
高齢者福祉に関わらせてもらってます。

今現在、足を痛めてしまい、
ちょっとお休み中ですが。治ったらまた、
頑張って働きます。元気でいる限り。

今、色々な困難に立ち向かい
懸命に生き、頑張っている全ての方たちと
一緒に走って(歩いて)いくような気持ちで。

またお会いしましょう!

こちらも急に暑くなりました。
島はもっと蒸し暑いんだろうな。
体調も崩しやすくなりますよね。
コロナに負けないように!体力温存。

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石垣島乳がん治療記録


沖縄県南城市 斎場御嶽(せいふぁーうたき)
旅の最後に訪れた聖地。


西表島から水牛車で渡る由布島 寒かった!


石垣やいま村で、友人の子供たちと。

2017年11月、乳がんの手術から丸3年が過ぎ、
今はすっかり髪も元どおり(クセ毛も元どおり)に
なり、パーマなんか当てております。

そして2018年1月、主人の勤務先が改装のため
しばらく休業となり、一度も家族旅行をしたことが
ない我が家に、旅の思い出を作るチャンス到来。

やはり行き先は八重山しかないだろうという事で、
昨年4月に娘と私だけで行ったばかりなんですが、
今回は主人も、5歳になった息子も一緒でした。

残念ながら黒島には行けませんでしたが、
真冬の寒さに震えながら(石垣島も冬は寒いし、
特に我々が行った時期は寒波の影響で寒かった)
西表島、由布島にも行って、帰りに那覇で一泊。
本島では、聖地 斎場御嶽への訪問も叶いました。

次はいつ会えるかなと思っていた友人知人に
また会えたのが、一番嬉しかったです。
石垣に住んでいた頃は介護施設で働いていましたが
そこの社長さんにも再会できました。
元気に走り回る息子を見てビックリしてました(笑)

病気のことは、子供たちが一緒だったので
特に誰とも話はしなかったけど、知ってる人は
知ってるし、気にかけてくれているのは分かって
いるので、その気持ちだけで充分 励まされます。

楽しい旅でした。子供たちに色々な体験を
させることができて、貯金は減りましたが
幸せです。連れて行って良かったと思ってます。

さて、治療の方ですが
今は数ヶ月に一度のホルモン抑制注射
(リュープリン)と、日々の服薬、時々検査を
受けて健康状態を確認してもらってます。

石垣への旅の予定があったので
私も子供たちも、インフルエンザの予防接種は
しっかり受けていたのですが、帰って来たら
娘の小学校で瞬く間に感染が広がって、旅の
疲れが残っていた娘から順番に、息子、義母と
感染していき、次は私が怪しいです。既に微熱が。

娘のクラスは学級閉鎖にまでなりました。
今年、子供たちの間ではB型インフルエンザが
すごい勢いで広まっています。皆さんもどうか
お気をつけくださいませ。

では、今日はこの辺で。
早く寝て休みます。体のために。

年に数回の更新ですが、もし気にかけて
読みに来てくださってる方がいらっしゃるなら
その方にも感謝いたします。ありがとうございます。

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石垣島黒島がんになって思ったこと家族・プライベート


かつてこのブログにも顔出しで登場していた娘も、
今年小学校一年生になりました。もう6歳です。

お久しぶりです。更新がだいぶ途絶えていました(・_・;)
気が付けば、前回の更新が昨年末…どんだけサボってんだ。

ここで、ひとつお悔やみを述べさせてください。
ブログ 「生き続けてやる肺がんオヤジのつぶやき」の著者で
お互いのブログをリンクして交流させていただいた、Hiroさんが
2017年2月15日に永眠されました。謹んで心からのお悔やみを
申し上げますと共に、最後の呼吸を終える瞬間までの様子を克明に
記録してくださった奥様に、感謝いたします。生前、Hiroさんは
「自分が亡くなった後にブログが放置され、何の更新もしなければ
読んでいる人は不安を感じるだろう」ということを気にかけていました。

そこで、Hiroさんは自分がいなくてもほかの人がブログで思いを繋げるよう、
「終わらないブログ」を考案し、それは通称「生きる!」という共有ブログとして
今も続いています。現在は、Hiroさんの代わりに奥様が時々記事をアップされて
いるようです。Hiroさんの思いや願いは、残されたご家族にしっかりと
受け継がれているようです。私も、直接お会いしたことはなくても
Hiroさんを知っていた人たちの中の一人として、Hiroさんのことを忘れず
これからも前を向いて、生き続けていこうと思います。

さて、私の近況ですが、久しぶり過ぎて何を書けばいいのやら。
冬は私と娘が何度か溶連菌感染症にかかり、息子がインフルエンザにかかり、
何かしょっちゅう熱を出して吐いていたような記憶が(;´・ω・) もちろん、合間に
楽しいこともたくさんありましたけど、調子が悪い時は本当につらかったです。

そしてなんといっても、今年は長女が小学校に入学した記念すべき年。
保育園を卒園した後、入学式までの間の休みを利用して私も休みを取り、
二人だけで旅行に行ってきました。行先はもちろん、娘が生まれた石垣島。

もう二度と行けないかもしれない…と思いながら、忘れることはなかった島に
大きくなった娘を連れていけたのは、感無量でした。ここがあなたが生まれた
島だよ、と、あちこち見せてあげられたのが、本当にうれしくて。いい旅でした。
懐かしい友、一緒に働いていた仲間たちは、生まれて数ヶ月の頃の娘しか
知らないので、みんな「大きくなったねぇ」と再会を喜んでくれました。

「おかえり」と言ってくれる人がいる。そういう場所があるというのはいいものですね。
故郷とは違うけど、第二の故郷のような。迎えてくれた全ての人に感謝したいです。

そうそう、石垣まで来たら、やっぱり黒島にも行かなくちゃ。ということで、
お世話になったおばぁにも会いたかったし、日帰りで行ってきました。
娘がまだ自転車に乗れないので、車が絶対に必要ということで迎えを
頼んでいたんですけど、久しぶりすぎて船の乗り方すら忘れていた私、
安栄のチケットでヤエカンの船にも乗れるということをすっかり忘れて
待ち合わせの時間に間に合わないという失態をやらかしてしまいました(;゚Д゚)

事情を話してチケットを払い戻してもらい、他社の船の券を買い直して
待ち合わせから遅れること一時間、ようやく黒島にたどり着いたのでした。
携帯を持ってないおばぁに連絡が取れるはずもなく、石垣からスマホで
Facebookにアクセスし、黒島に住んでいる知り合いの方にメッセージして
おばぁに伝言を頼むという非常手段。結局、この知り合いの方が港で
待ってくれていて、無事におばぁのいる集落まで送ってもらえました。しかも
オートマ限定の私でも運転できる軽トラを貸してくださって、本当に助かりました。

軽トラがあったおかげで、娘を乗せて島をグルグル回ることもできました。
今度は、家族で泊りがけで行ってみたいです。完全なる観光客として。

そんな島旅から帰ってきた後、娘は小学校に入学し、新しい友達がたくさん
でき、いろいろなことを学んで、経験して…きっとこの一年だけでも、かなりの
成長を遂げるのではないかと思ってます。それを見届けることができる幸せは
決して当たり前じゃない…いつどうなるかわからないという不安は常にあります。

でもね、だからと言って何にもしないわけにはいかないし、
やらざるを得ないというか、小学校に入ると行事や当番が多くて
私も毎日大変です。まだ保育園に通っている息子もいるし、仕事も
しているし、寝不足で肌が荒れることもあります。いつの間にか月日が
経っているという感じで。でも、そのぐらい忙しい方がいいみたい。

同じ年頃の子を持つ小林麻央さんのことも気になってます。
病院にいるよりは…と自宅に戻られたみたいですね。子供たちの
にぎやかな声が、明るさが、きっと希望を与えてくれることでしょう。

とにかく、子育て真っ最中の世代が「がん」になるという悲劇は
いいかげんもう、誰の身にも起こってほしくない。がんなんて本当、
撲滅できればいいのに!って思います。必ず治る時代、早く来い!

それではまた、次の更新で。
忙しすぎて更新できない!っていうのが理想ですが。







最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

育児日記がんになって思ったこと乳がん治療記録


ぐんまフラワーパークのイルミネーション

今年も一年、ありがとうございました。
色々な人、色々なことに感謝の日々ですね。
普段の生活では、あまり口に出しませんが(笑)

治療の方は、月に一回のゾラデックスの注射から、
3ヶ月に一回のリュープリンという薬剤の注射に変わり
飲み薬のタモキシフェンも続けています。
(たまに飲み忘れます)
11月に溶連菌感染症にかかり、高熱を出して
熱が下がってからもしばらくは調子が悪かったです。

(子供が保育園に行ってると、親も色々と
子供経由で貰っちゃうんですよね
インフルとか、ノロとか…ここ数年
何かしら子供から感染してます、私)

子供たちは、おかげさまで元気に、
元気すぎるぐらいに、スクスクと成長し
上の子は来春、いよいよ小学校入学です。

乳がんの告知を受けた時は、
まだ子供たちも3歳と1歳で、
成長を見届けられないのかという
絶望感に打ちのめされました。
が、私は今こうして元気に生きています。
自分が乳がんであることを考えるのは、
受診の日とか、手術の傷跡が疼く時ぐらいで
普段はもう、本当に普通に、がむしゃらに
家事や育児に追われながら、趣味も楽しんでいます。

髪もすっかり元通りになり、少し伸ばして
簡単なアレンジを加えられるまでになりました。

疲れた時は、無理せず横になって休むようにしています。
子供たちには、あまり寝込んでいる姿を見せたくないのですが
親は不死身ではない、具合が悪くなることもあると
幼いなりに考え、理解しているのではないかと思います。

先日、部屋の片隅に
「しあわせだよ だいすき」って書いた
メモ用紙が落ちているのを見つけました。
ひらがなを覚えたばかりの娘の字で。

だいすき とか しあわせ とか、
素直に言える子に育ってくれているのが
私の幸せかな(笑)

抗ガン剤治療を受けていた頃、
化学療法室の主任看護師さんが
「私の母親も乳がんで、当時は抗ガン剤の
副作用を抑える薬が、今ほど開発されていなかったから
母親が(副作用で吐いた)自分の吐瀉物にまみれて、
死んだように横たわっているのを見て育ちました」と、話してくれました。

自分の親が死にそうになりながら
懸命に生きている姿を見たからこそ
その看護師さんは、化学療法室で日々
がん患者さんと向き合っているのかな…
なんて考えたら、
どんなに体が弱って、親らしいことをしてやれなくても
ただ存在しているだけで、親が子に与えられるものは、
きっとたくさんあるんだと思いました。

小さな子供がいる、がんのお母さん。
母親らしいことをしてやれなくても
髪の毛が生えてなくても、
子供たちはみんな、ママが大好きです。

新しい年が、皆さんにとって
希望に満ちた素晴らしい一年でありますように。

このブログを読んでくださって、
ありがとうございます。

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