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がんになって思ったこと家族・プライベート

末期がんだった母親のこと

※はじめに。
2002年当時と比べて、今はがん治療も進歩しました。
新しい薬も認可されています。
すべてが当時と同じではないことをご理解ください。

私の母は昭和25年生まれの虎年、
身長は150cmほどしかなく、小柄でしたが
性格は勝ち気で、自分のつらさを表に出さない人でした。
2002年の9月に、胆管がん(胆嚢がんだったかも)の
末期症状により、全身状態が悪化して亡くなりました。
52歳。わずか9ヶ月ほどの闘病生活でした。

母の場合はがんが見つかってからの進行が速く、
(追記:見つかった時には既に手の施しようが無かった…
と言うほうが、正確かもしれません。)
治療らしい治療も受けられないまま終末期が来てしまい、
色々なことが心残りです。挙げればきりが無いほど。

続きがあります。


私は当時26歳。結婚を控えており、正社員の仕事を辞めて
アルバイト生活だったので、時間の融通が効きました。
おかげで、実家の家事全般と母の身の回りの世話もでき、
最期を看取ることもできたのですが、後悔はあります。
たぶん、どんな状況であっても何かしら後悔したでしょう。

母はおそらく、がんが分かる数年前から
体の調子がおかしかったと思います。
痩せてきて、疲れやすいとも言っていました。
顔や体に黄疸が出始め、いよいよおかしいとなって
病院を受診したのですが、もっと早く分かっていたら…。

検査の結果は、予想を上回る最悪のものでした。
状態は非常に厳しく、手術も賭けになるとのこと。
有効な治療が無いと断言されたようなものです。

本人に病名の告知は「しない」ことになっており
(最近知ったのですが、身内の希望だったそうです)
私は、これからどんな顔で母に会えばいいのか
何か聞かれたら、どう答えればいいのか随分悩みました。

母は私に、病名を一度も聞いてこなかった。
でも、母は気づいていたと思います。
先が長くないことも、分かっていたと思います。

母が亡くなって十二年も経つのに、いまだに
当時を思い出すと、色々な思いが込み上げてきます。

母が身を以て健康の大切さを教えてくれたのに
私までがんになってしまいました。
健康には人一倍、もっと気をつけるべきだったかも…。
妊娠と出産が続いて、子宮がん検診は受けていましたが
乳がんは想定外でした。しこりを見つけた時はショックでした。

私は大切な家族をがんで失った「遺族」でもあり、
現在は「がん患者」でもあるのです。
短い年月の間に、しかも20代から30代という年代で
両方の立場を経験するとは思ってもみませんでした。

これからも長い治療が続きますが、体が耐えられるうちは
母の分まで、頑張って治療を受けて生きていこうと思います。

今回はちょっと重い話になってしまいましたが、
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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